2011/11/14

留まるものと流れるもの

仕事をさせれば誰もが舌を巻き、その仕事に対する厳しさとその先に得られた成功は、ある意味妬まれすらしながらも、理路整然としたその手腕に誰一人として文句を言えるものはいなかったように見受けられた。
それは性格の合わない人であっても、その彼の仕事ぶりを認めざる得なかった事からも伺える。

現役を引退後も、壮健という言葉がふさわしく常にエネルギーに満ちあふれていた。
彼を知る誰もがそのように思い、そして彼の息子が想像していた以上に多くの人に慕われていた。

そのエネルギッシュな見かけとは裏腹に、とても信心深くそして行動の豪快さからは想像し得ない慎重さを兼ね備えていた。
彼の頭の中で計算して答えの出てこない思い込みや推測による判断を一切せず、それでも相手の感情を最大限に汲み、物事に取り組む人だった。

彼は、息子に対して多くを語る人ではなかった。
しかし、彼は息子が中学生になったその日から、子供としてではなく一人の人間として常に対等に扱ってくれた。
それは時として、息子の気持ちを寂しくさせることもあったし、たまに会う甥や姪を我が子よりも可愛がっている様にさえ見えた。

孫に対しては、彼が父として息子にしてやる事が(彼の信念として)出来なかった無条件にすら思える優しさと思いやりを注ぎ続けた。
孫たちそれぞれの性格や、それぞれの個性やポテンシャル/その可能性を引き出し、どの孫からもそれぞれの尺度で最大限に慕われていた。

中でも、唯一の孫娘とは言葉にせずとも馬が合い、二人が為す所作見ていると本当に幸せそうに見えたものだった。

併せて、彼の妻に対する献身ぶりは誰もが認めるものであったし、健在な彼の老齢な母への世話や思いやりは、他人が見ても誰一人として感嘆の念の表さずにはいられないものだった。

引退後の生活は、彼にとってとても幸せなものだったのだろうと思う。
その年代にして、中々得ることが出来ないであろう新しく出来た友達との交流と信頼関係は素晴らしかった。
一見すると晴耕雨読的なスローライフと見えながらも毎日を精一杯慌ただしく生きていた。
物事へ取り組む際に己のスタイルにこだわりを持ち、一度やり始めた事は徹底的に突き詰めないと気が済まない人だった。

そのようなわけで、その知らせを受けた人々のすべてが、何故彼がそんな事に?と、口を揃えて愕然とした。

************

彼がその日どうしてもその場へ行きたかった事は、彼の残したメモを見れば一目瞭然であった。
そこで彼が行っていた行為は、近年特に好んで行っていた事だった。

そして、後にその場所を訪れてみて思った事は、彼にとってそこは頭や心の中を切り替え、次のステップに進む為のポイントだったのだろうと思う。


その時彼は、何を思ったのだろうか。
その一瞬の出来事に、何をも思う事すら出来なかったのだろうか。

彼がきっとあの場所で、狭くなる視野の中にそこでしか見ることが出来ない空を最後に見て、まぁいいかと満足げに微笑んだのだと思いたい。決して、無念の内に静寂と暗闇が訪れたのではないのだと。


E3121192

E-3 + ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5

彼の息子が、彼を最後にファインダーに収めたのはその後ろ姿だった。
彼の孫娘は、その後ろ姿に続きながら、悪戯するようにシャボン玉を吹きつづけていた。
ファインダーに収まってはいないけど、振り返り様に見せた孫娘への笑顔は、彼の遺影に映る笑顔よりももっと慈悲深く幸せに満ちていた事を彼の息子は覚えている。

************

2011年10月最後の日、僕の父は64年の生涯を、父を知る誰もが予期し得ぬ不慮の事故で全うしそこに留まることになった。
慌ただしく寝る間を惜しんで事後の様々な成すべき事を一段落させた僕は、明日からその日以前の日常に戻り、再び時間の流れに身を委ねる。

留まるものと流れるものがそれぞれの時間に縛られる前に、その時の感覚や記憶がまだ現実として生きているその間に、ここにいま感じていた気持ちを記しておく。そして後に、もっと客観的に考えられるようになった時に、きちんとした文章に書き直したいと思う。

************

正直なところ今はまだ実感が湧かない。
僕には流れる時間が必要なのだと思う。
父は人々に思い出としてそこに留まりつづける。


にほんブログ村 写真ブログ 子供写真へ
--- 子供写真ランキングに参加してます ---

2011/10/27

僕は、リスクを選ぶ。

決して不器用ではないけれども、物事を決断するまでには時間がかかる方かも知れない。
人を信じる事と人のする事を信じる事は別だと分かっていても、その境目を往来してしまう性質。

人にはその人が思っている以上の可能性があり、自分でわかっているよりも遥かに低い実力しかなかったりする。
己を客観的に見る事は実はとても怖い事だ、誰だって自分が可愛い。

人は様々な経験をして成長するとともに、成長させるその源のその多くは実は成功よりも失敗の積み重ねだと改めて思う。
巻き戻す事の出来ない時間の流れや、掛け違えたボタン、そのような現実の中で、我々は生きている。

僕は改めてリスクを取る選択をすべき次期に置かれているのだと痛切に感じている。
そして、そのリスクを取るにはあまりにも時勢が宜しくない昨今でもある。
けれども、発想の転換をし前に進むためには、今置かれている状況は限りなく底に近い。
とはいえまだ、何とか自分自身の思う底よりも辛うじて上に立っているのではないかとも思う。

全ては自らの招いた結果でしかない。
見た目、それが第三者の手によってもたらされた結果であったとしてもだ。
今僕は、改めて素直にそれを受け入れ、反省するわけではなく反面教師として進む道を決めなくてはならない。


「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」/石川啄木

そして、その過程であらゆる人々に迷惑をかけ、同時にあらゆる人々に助けられた。
にもかかわらず、結果的には、損ない損なわれ、傷つき傷つけてきたのかもしれない。

……などと、感傷に浸っている場合ではないのだ、その時はもう十分に過ごした。
何度も何度も往来しながら納得できたので、僕は次へ進む。


「苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように」/高杉晋作

やってやれないことはない、少なからずみんなやっているのだ。
前に進む、大きく転ぶかもしれないけれど、リスクの大きさに比例して得られるリターンの為に。

僕は、リスクを選ぶ、そして自分の足で立つのだ。


Img_3541

iPhone 3G + Poralize

願わくば、そのリターンが得られればなどというつもりは無い。
あえてリスクを選び、僕はリターンを得る。

フォトアルバム

2011年11月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30      

Fotopus

  • Fotopusに投稿した写真

にほんブログ村

  • 子供写真 ランキング
    にほんブログ村 写真ブログ 子供写真へ

更新ブログ

 
ブログ powered by TypePad
Member since 04/2005