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2013/10/31

時計は二度と回らない?

失ったもの、手に入れたもの。

損なわれる感覚と快復してゆく感覚。

それらが同時に進行して行くような二年間だった。

その月日は短くもあり長くもあり。

感覚的にはもう五年以上経過したような気もするし、休日の朝目覚めるとまだ八ヶ月位しか経過していないような気もする。

あれから色んなことがあった。

例えばそれは、絶たれた望み、損なった絆。

例えばそれは、与えられた癒し、何ものにも代え難い幸福感。

***

二年前、彼を永遠に失った時、僕は泣く事が出来なかった。

それは自分に与えられた役割を果たす為に、それが足枷となるからだと思っていたからだし、実感として受け入れる事が出来なかったから。

突然切り取られたそれはある意味「当たり前」の存在だと信じていたものだった。

あまりにも素早く、切り取られた直後には傷口から一滴の血も流れないほどで、けれども僕の体の深いところから確実に損なわれてしまった。

そして、時間がたつにつれ、少しずつえぐり取られたその真っ白な傷口に、ジワジワと血が滲み出してくるのを感じずにいられなかった。

最初の一年は、全く止められなかった、どれだけ強く押さえても。


周りから見れば、そんな風には見えなかっただろうと思う。
見せないようにすることで、自分自身もそんな傷は存在しないのだと思い込んでいた。

二年目になって、ようやくそれをコントロールできるようにはなったけるども、いま振り返ってみると、そのせいで多くの人を傷つけ、損なってしまっていることに気がつく。

往々にして我々の人生は、気がついた時には手遅れであることが多い。

***

失いたくないものは誰にだってある。けれども失いたくがないために、間違えた選択をすることもある。

***

二年の月日が流れ、やっと彼を失ったことを受け入れる事ができたのだと思う。

いまでも時折、ふとした時に傷口が赤くなり血が滲み出してきそうになるけれども、しっかりと押さえていればなんとかなる。

***

人は誰しも、誰かに必要とされたくて、何故ならそれは嬉しいことで、そしてそれは幸せなことで。

どんな形であっても、自分自身が生きていることを実感するためには、悲しみや苦しみや諦めよりも、嬉しさや楽しさや希望であったほうが良い。

けれども、目の前にある課題は山積みで、そのどれもが難題ばかり。一つずつ片付けてゆくしかないのだけれども。

***

これ以上、失ったり損なったり損なわれたりするのはもうこりごりだ。

だから、手放してはならないと感じるものを手放さず、義務感から手放すべきものを手放さずにいるのをやめようと思う。

ダメかもしれない、でも諦めない。

笑って日々を過ごしたい。
望みはただそれだけ。

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