カテゴリ「日記・コラム」の38件の記事

2013/10/31

時計は二度と回らない?

失ったもの、手に入れたもの。

損なわれる感覚と快復してゆく感覚。

それらが同時に進行して行くような二年間だった。

その月日は短くもあり長くもあり。

感覚的にはもう五年以上経過したような気もするし、休日の朝目覚めるとまだ八ヶ月位しか経過していないような気もする。

あれから色んなことがあった。

例えばそれは、絶たれた望み、損なった絆。

例えばそれは、与えられた癒し、何ものにも代え難い幸福感。

***

二年前、彼を永遠に失った時、僕は泣く事が出来なかった。

それは自分に与えられた役割を果たす為に、それが足枷となるからだと思っていたからだし、実感として受け入れる事が出来なかったから。

突然切り取られたそれはある意味「当たり前」の存在だと信じていたものだった。

あまりにも素早く、切り取られた直後には傷口から一滴の血も流れないほどで、けれども僕の体の深いところから確実に損なわれてしまった。

そして、時間がたつにつれ、少しずつえぐり取られたその真っ白な傷口に、ジワジワと血が滲み出してくるのを感じずにいられなかった。

最初の一年は、全く止められなかった、どれだけ強く押さえても。


周りから見れば、そんな風には見えなかっただろうと思う。
見せないようにすることで、自分自身もそんな傷は存在しないのだと思い込んでいた。

二年目になって、ようやくそれをコントロールできるようにはなったけるども、いま振り返ってみると、そのせいで多くの人を傷つけ、損なってしまっていることに気がつく。

往々にして我々の人生は、気がついた時には手遅れであることが多い。

***

失いたくないものは誰にだってある。けれども失いたくがないために、間違えた選択をすることもある。

***

二年の月日が流れ、やっと彼を失ったことを受け入れる事ができたのだと思う。

いまでも時折、ふとした時に傷口が赤くなり血が滲み出してきそうになるけれども、しっかりと押さえていればなんとかなる。

***

人は誰しも、誰かに必要とされたくて、何故ならそれは嬉しいことで、そしてそれは幸せなことで。

どんな形であっても、自分自身が生きていることを実感するためには、悲しみや苦しみや諦めよりも、嬉しさや楽しさや希望であったほうが良い。

けれども、目の前にある課題は山積みで、そのどれもが難題ばかり。一つずつ片付けてゆくしかないのだけれども。

***

これ以上、失ったり損なったり損なわれたりするのはもうこりごりだ。

だから、手放してはならないと感じるものを手放さず、義務感から手放すべきものを手放さずにいるのをやめようと思う。

ダメかもしれない、でも諦めない。

笑って日々を過ごしたい。
望みはただそれだけ。

2013/08/24

30年目の8月24日

30年前の今日、そしてちょうど今頃の時間。

降り続く小雨のせいもあって、とても静かだったことを今でも覚えている。
滔滔と流れる水の中から戻ってきた同級生は永遠にその場に留まることとなった。

思い出すのは、直前に交わした会話や視界から遠ざかってゆくかれの背中、部屋に残された彼の私物等々。
部屋の片隅に脱ぎ捨てられていた彼の衣服を見つめながら考えていた事を反芻する。

***

もしあの時、彼と一緒に追いかけていたら彼を救う事が僕には出来たのだろうか?
あるいは、留まることになったのは僕だったのか?
30年たった今でもそれはわからない。
考えても仕方のないことなのかもしれない。

***

人生に「もし」や「たら」や「れば」はない、あるのは全てが現在進行形であり、わからないことだらけだ。
人は人生において多くの常に選択を強いられ、前に進み続けるしかない。

「当たり前だ」と思っている日常は、当たり前なんかじゃない。
ある日突然途切れてしまう事が「当たり前だ」と同じ確率でそこにある。

2011/11/14

留まるものと流れるもの

仕事をさせれば誰もが舌を巻き、その仕事に対する厳しさとその先に得られた成功は、ある意味妬まれすらしながらも、理路整然としたその手腕に誰一人として文句を言えるものはいなかったように見受けられた。
それは性格の合わない人であっても、その彼の仕事ぶりを認めざる得なかった事からも伺える。

現役を引退後も、壮健という言葉がふさわしく常にエネルギーに満ちあふれていた。
彼を知る誰もがそのように思い、そして彼の息子が想像していた以上に多くの人に慕われていた。

そのエネルギッシュな見かけとは裏腹に、とても信心深くそして行動の豪快さからは想像し得ない慎重さを兼ね備えていた。
彼の頭の中で計算して答えの出てこない思い込みや推測による判断を一切せず、それでも相手の感情を最大限に汲み、物事に取り組む人だった。

彼は、息子に対して多くを語る人ではなかった。
しかし、彼は息子が中学生になったその日から、子供としてではなく一人の人間として常に対等に扱ってくれた。
それは時として、息子の気持ちを寂しくさせることもあったし、たまに会う甥や姪を我が子よりも可愛がっている様にさえ見えた。

孫に対しては、彼が父として息子にしてやる事が(彼の信念として)出来なかった無条件にすら思える優しさと思いやりを注ぎ続けた。
孫たちそれぞれの性格や、それぞれの個性やポテンシャル/その可能性を引き出し、どの孫からもそれぞれの尺度で最大限に慕われていた。

中でも、唯一の孫娘とは言葉にせずとも馬が合い、二人が為す所作見ていると本当に幸せそうに見えたものだった。

併せて、彼の妻に対する献身ぶりは誰もが認めるものであったし、健在な彼の老齢な母への世話や思いやりは、他人が見ても誰一人として感嘆の念の表さずにはいられないものだった。

引退後の生活は、彼にとってとても幸せなものだったのだろうと思う。
その年代にして、中々得ることが出来ないであろう新しく出来た友達との交流と信頼関係は素晴らしかった。
一見すると晴耕雨読的なスローライフと見えながらも毎日を精一杯慌ただしく生きていた。
物事へ取り組む際に己のスタイルにこだわりを持ち、一度やり始めた事は徹底的に突き詰めないと気が済まない人だった。

そのようなわけで、その知らせを受けた人々のすべてが、何故彼がそんな事に?と、口を揃えて愕然とした。

************

彼がその日どうしてもその場へ行きたかった事は、彼の残したメモを見れば一目瞭然であった。
そこで彼が行っていた行為は、近年特に好んで行っていた事だった。

そして、後にその場所を訪れてみて思った事は、彼にとってそこは頭や心の中を切り替え、次のステップに進む為のポイントだったのだろうと思う。


その時彼は、何を思ったのだろうか。
その一瞬の出来事に、何をも思う事すら出来なかったのだろうか。

彼がきっとあの場所で、狭くなる視野の中にそこでしか見ることが出来ない空を最後に見て、まぁいいかと満足げに微笑んだのだと思いたい。決して、無念の内に静寂と暗闇が訪れたのではないのだと。


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E-3 + ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5

彼の息子が、彼を最後にファインダーに収めたのはその後ろ姿だった。
彼の孫娘は、その後ろ姿に続きながら、悪戯するようにシャボン玉を吹きつづけていた。
ファインダーに収まってはいないけど、振り返り様に見せた孫娘への笑顔は、彼の遺影に映る笑顔よりももっと慈悲深く幸せに満ちていた事を彼の息子は覚えている。

************

2011年10月最後の日、僕の父は64年の生涯を、父を知る誰もが予期し得ぬ不慮の事故で全うしそこに留まることになった。
慌ただしく寝る間を惜しんで事後の様々な成すべき事を一段落させた僕は、明日からその日以前の日常に戻り、再び時間の流れに身を委ねる。

留まるものと流れるものがそれぞれの時間に縛られる前に、その時の感覚や記憶がまだ現実として生きているその間に、ここにいま感じていた気持ちを記しておく。そして後に、もっと客観的に考えられるようになった時に、きちんとした文章に書き直したいと思う。

************

正直なところ今はまだ実感が湧かない。
僕には流れる時間が必要なのだと思う。
父は人々に思い出としてそこに留まりつづける。


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2011/10/27

僕は、リスクを選ぶ。

決して不器用ではないけれども、物事を決断するまでには時間がかかる方かも知れない。
人を信じる事と人のする事を信じる事は別だと分かっていても、その境目を往来してしまう性質。

人にはその人が思っている以上の可能性があり、自分でわかっているよりも遥かに低い実力しかなかったりする。
己を客観的に見る事は実はとても怖い事だ、誰だって自分が可愛い。

人は様々な経験をして成長するとともに、成長させるその源のその多くは実は成功よりも失敗の積み重ねだと改めて思う。
巻き戻す事の出来ない時間の流れや、掛け違えたボタン、そのような現実の中で、我々は生きている。

僕は改めてリスクを取る選択をすべき次期に置かれているのだと痛切に感じている。
そして、そのリスクを取るにはあまりにも時勢が宜しくない昨今でもある。
けれども、発想の転換をし前に進むためには、今置かれている状況は限りなく底に近い。
とはいえまだ、何とか自分自身の思う底よりも辛うじて上に立っているのではないかとも思う。

全ては自らの招いた結果でしかない。
見た目、それが第三者の手によってもたらされた結果であったとしてもだ。
今僕は、改めて素直にそれを受け入れ、反省するわけではなく反面教師として進む道を決めなくてはならない。


「はたらけど はたらけど 猶わが生活楽にならざり ぢつと手を見る」/石川啄木

そして、その過程であらゆる人々に迷惑をかけ、同時にあらゆる人々に助けられた。
にもかかわらず、結果的には、損ない損なわれ、傷つき傷つけてきたのかもしれない。

……などと、感傷に浸っている場合ではないのだ、その時はもう十分に過ごした。
何度も何度も往来しながら納得できたので、僕は次へ進む。


「苦労する身は厭わねど、苦労し甲斐のあるように」/高杉晋作

やってやれないことはない、少なからずみんなやっているのだ。
前に進む、大きく転ぶかもしれないけれど、リスクの大きさに比例して得られるリターンの為に。

僕は、リスクを選ぶ、そして自分の足で立つのだ。


Img_3541

iPhone 3G + Poralize

願わくば、そのリターンが得られればなどというつもりは無い。
あえてリスクを選び、僕はリターンを得る。

2011/08/02

飛行機雲2

 「飛行機に乗るのって、私、はじめてよ。」

 言葉を区切るようにいいながら、彼女は僕の右目を見つめていた。
親元をはなれ、朝夕を通勤電車に揺られ、きちんと定められた税金
を納め、権利として選挙にも欠かさず行く彼女。
つまり、大人になった今でも、彼女は飛行機に乗ったことがなかった。


 「草の上から空と飛行機を眺めるのは好きよ、とても。」

 空港からそう遠くない場所に住む彼女は、時間があれば見はらし
の良い空き地(というか公園や空港施設との緩衝地帯)に出向き、
芝生の上にたって空と往来する飛行機を眺めている。

風向きによって使用する滑走路が異なったり、聞こえてくるエンジン
音の違いや、雲や空や日差し、気温と湿度、そしてそれらの組合せ
によって感じる、その場所の雰囲気の善し悪しに一喜一憂する。


 「こっちって、どっち?日が沈むのはあっち?」

 窓側に座った彼女は、おでこを窓にくっつけて空を眺めている。
雲の上を指さしながら尋ねる彼女の横顔を、僕は眺めている。

機体が西へ向かって進むにつれ、雲と光の作り出すその表情は
白くなったり暗くなったり、蒼くなったり紅くなったりする。


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E3 + ZUIKO DIGITAL 25mm F2.8


「下から見てるだけでは良く分からなかったけど、私、やっぱり空に含まれたいなと思う。できれば飛行機雲になりたい。」

 短いフライトの間、彼女はほとんどずっと空を眺めていた。
そして時折、思いついたことをポツリポツリと僕に語りかけた。

 目的地に到着するとすっかり日は落ちていて、空は夜空へと
変わり始めていた。

僕たちの飛行機が残した雲は、はたして何処へ流れ、どんな空を
描いていたのだろうか?

(了)

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2011/01/30

飛行機雲

広島は尾道も、晴れているけれど風が吹いて雲が流れときおり小雪がちらついたのでした。
昼にお風呂に入って、ユニクロでジーンズとカーディガンを買った。

iPhoneで調べた良さげな珈琲専門店に行ってみたのだけれども、大はずれだった(笑

過去の写真を整理していたら、ちょうど一年前に撮った飛行機雲の写真があった。
漠然とだけど、なんだか文章が書いてみたかったので、飛行機雲と言うタイトルで
文章を書いてみた。

E3319149

E3 + ZUIKO DIGITAL 25mm F2.8


「飛行機雲」

一月最後の日曜日、暮れ行く峠道をくだり10分程で家に到着しよ
うとしていた時、ユミは助手席から僕に尋ねた。

「あれって飛行機雲なの?」

彼女が指差す方向、進行方向に向かって左、すなわち助手席の窓を
ちらっと横目で見ると、南南西の空に一筋の雲が見えた。一瞬だっ
たけど、たしかにそれは飛行機雲のようだった。

この辺りで飛行機雲が見えるなんて珍しいな、と僕は思った。と言
うのもこの空域を飛行機が通る事は殆どないからだ。自慢じゃない
けど、僕は空を眺める事についてはなかなかの専門家で、いつ、ど
こに行けばどんな空が見えるのかを知っていた。

もちろん、飛行機雲や飛行機が見たければ、どこに行くべきなのか
と言うのは熟知していたし、今こうやって車を走らせているその先
にある空は、僕の知りうる限り飛行機や飛行機雲を見る事が出来る
空ではなかった。

峠を下りきる手前、見晴らしのよい右カーブの路肩に僕は車を止め、
ストールを首に巻いて彼女が指摘した飛行機雲を眺めてみた。
風はなく、傾いた太陽の日差しが眼下の森を黒い影に変えていた。

雲は左から右へ、ゆっくりとではあるがさっき見た時よりも伸び続
けているようだった。尻尾は上空の風に流され広がっていて、墨を
浸け過ぎた筆で書いた様な”一の字”のように滲んでいた。先頭はサ
グラダ・ファミリアの尖塔の様に細く尖っており、ゆっくりとでは
あるけど先端は西の方へと進んでいるようだった。

僕がその雲を眺めている間、彼女は車の中から僕の後ろ姿と雲を交
互に眺めているようだった。彼女の視線や気配を僕はたとえそれが
背中に向けられている時であっても感じることが出来るのだ。
雲を眺めながら、残り少なくなったタバコを口にくわえ、火を点け
ようとコートのポケットを探っていると、彼女は車から降りて来た。

「そこにはないよ、ここにある。」

ライターを手渡す彼女の手は、車の中にいたのにもう冷えていた。
僕は左手で受け取ったライターを右手に持ち替えタバコに火を点け、
左手で彼女の右手を掴んで自分のコートのポケットの中に入れた。

「あったかいね。」と、彼女。

しばらく二人でその雲を眺めていた。

「ここを飛行機が通るなんて珍しいな、チャーター便か何かかな。
方角から行ってあれは香港へ向かう便かな?」と僕が言うと、彼
女は「うん」とだけ言って頷きコートの中の僕の手を少し強く握
った。恐らく寒いのだろう。

「香港じゃなくてオーストラリアかもしれないよ。きっと、あった
かい所に行く飛行機。」

彼女は雲を眺めながら、それがこの寒い日本ではなく暖かいオース
トラリアへ向かうのだと考えているようだった。それは、飛行機が
向かっている空路や時間帯を論理的に考えて導きだされて来た言葉
ではなく、彼女自身が感じている今の状況にから出て来た言葉のよ
うだった。すなわち「寒いのであったかい所に行きたい」だ。

「香港も日本よりあったかい。ユミ、それより大丈夫?寒くない?」
と僕が尋ねると彼女は手を緩める代わりに僕の肩に自分の頬をくっ
つけて、寒そうな声で「まだだいじょうぶ。」と言った。

雲の先端は、さっきよりも西の方へ延びていた。先端を凝視すると、
西日を受けて時折小さくキラリと光るのが見える。やはり飛行機だ。
僕が彼女にそれを教えようとした時、彼女は僕の目を覗き込んで
「見えるよ」と言った。

傾き始めた太陽が沈むのは早い空は青から薄紅色に変わり、周囲は
すっかり黒の度合いが多くなっていた。

「あったかいところ。」と彼女はその雲を眺めながら言った。

車に乗り込み、家に向かって車を走らせる。彼女はまだ風に流され
ずに残っている飛行機雲を飽きずに眺めている。

FMラジオをつけると「今夜さらには冷え込み、平野部でも小雪が
ちらつくでしょう」と、お天気アナウンサーの声が聞こえてきた。
その声の後ろの軽快なBGMを聞きながら、これはカシオペアだった
かな?と考えていると、彼女が僕の方を向いて大きな声で言った。

「雪だって!」
「そうみたいだね、でも寒いよ?」
「でも雪だよ!」

考えてみると、彼女と雪を一緒に見た事はなかった。見たいねと言
いながらも、もう何年も一緒に居る時に雪が降った事は無かった。
「そうだね、降ると良いね」と僕が言うと「一緒に雪を見るんだ。」
と彼女は言った。

家の手前でスーパーに寄った。ブロッコリーや豆腐を選びながら、
ショッピングカートを押しながら、メインは何を食べようかと考え
ていると「今夜は肉を焼きます、オージービーフです。」と彼女が
言った。僕は、売り場のPOPや原産地証明書を見ながら答えた。

「うん。あったかい国の牛さんを食べます。飛行機で届けられまし
たって書いてあるね。」

明日の朝食用のパンや、きれていたイチゴジャム、ちょっと高価な
バター、野沢菜の漬け物、そしてビール等を物色し、買い物を終え
外に出ると、すっかり日は暮れあたりは暗くなっていた。

北の空はとても暗くて、さっきまでなかった雪雲らしきモノが暗い
空にさらに暗い色で浮かんでいた。彼女の右手と僕の左手をポケッ
トに突っ込み、車に向かって二人で歩いた。西の空にはもう飛行機
雲はなかったけれども、飛行機の赤色灯らしきものが点滅している
のが見えた。

ここは飛行機が通らないはずなんだけどな?と思いながら、けれど
もそれはきっと「オージービーフ」を運んでくる飛行機なんだろう
なと僕は思うことにした。

北の空の雪雲は、さらに暗さを増して黒く膨らんでいた。きっと今
夜は雪が降るのだろう。歩きながら今夜降るであろう雪の事と、さ
っきのあのカシオペアの曲はどのアルバムに入っていたのかなと考
えていると、彼女はなぜかちょっと笑いながら「あったかいね。」
と言った。そして、ポケットの中で僕の手を強く握りしめた。


(了)


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2010/03/20

オリンパスの店頭POPに採用されるの巻

そういえば、月初めに中国に出張してた時にオリンパスからメールが届いて、Fotopusに投稿してある写真2枚を、ビックカメラのオリンパスの売り場で店頭POPに使わせて欲しいとの事。

いつからどんな風にというのは、後日メールを頂けるらしい。

ちなみに、これ↓(見辛くてアレですが)

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2009/10/19

最近

昔の日記を読んだり、昔の写真を整理したりしています。
昔の写真はセレクトして Photoback で子供達の写真集を作ろうと思って見ている訳なんですが、それらを見ていて当時どんな生活してたのかと、日記を読み返してます。

読んでて、ちょっと悲しくなったのは 2002 年の今頃に飼っていた猫が交通事故にあった事でした。

**********
2002/10/14 Mon

朝から酷く嫌な気分だった。
何かがおかしいとずっとひっかかっていた。
虫の知らせだろうか、ともかくそう言うものだった。

---
それはもう眠ろうかと思って就寝の準備を
しているときにピークを迎える。

猫が帰ってきた気配がしたので見に行くと、
泥まみれで元気がなく頭を垂れて座っている猫がいた。
とりあえず、お風呂場に連れて行きさっと洗ってやると
どうも様子がおかしい。

洗ってやったお湯が濁っているのは、泥だけではなく
明らかに血液、怪我をしている。良く見ると顔の右の
下顎から口元が削げ、鼻は鼻血で詰まり右目は押し
出されたように腫れてしまっている。

車にひかれたのか、あるいは何かの隙間にはまって
しまったのか分からない。

鼻が詰まって息が出来ず口で呼吸している。
口元はまだうっすらと血が滲んでいる。
水も飲まない。涙が血液と混ざって左目を塞いでいる。

幸いその傷以外は外傷がないようだし、耳からも出血はなく
下血も見られない。タオルで包み、しばらく抱いてやった後で
いつも猫が寝ているバスケットの中に寝かせてやった。

---

明日の朝まで生きていてくれるだろうか。
そして元気になってくれるだろうか。


2002/10/15 Tue

早朝から熊本へ。
施主の家に寄ってある誓約書を頂いて役所へ。
書類の差し換えと訂正で無事申請業務完了。

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朝、家の前の道路を調べた所、やはり車にひかれたらしく
道路の真ん中にかなりの出血と失禁の後があった。
おそらくタイヤではなく車の底かあるいは車高の低い
いわゆる頭悪そうな奴等の車にひかれた模様。

猫は朝から同居人が病院に連れて行き、レントゲンの結果
骨も折れておらずひとまずは大丈夫だろうとの事。
ただ、怪我した方の歯が若干反対に比べて内側に倒れて
しまっている。

呼吸も安定してるし、下血もない。
しかし痛み止めを飲ませても口を開こうとしない。
痛くて開けないのかも知れない。無理矢理開こうと
すると、かなり嫌がる。怪我した猫とは思えないくらいに(笑)。

注射器で水と薬をやって、ペースト状の食事を与えるが
食べてくれない。顔全体がうっ血して、左目からは
溜った血液が涙と一緒に流れている。顎の下にも溜っている。
口と顎の傷はほぼ血は止まった感じ。とりあえず鼻の奥と
顔に溜った血が全部出てくれれば、大丈夫だろう。
しかし、腫れ上がった顔とロンパリ(死語?)になっている
目を見ていると、全く別の猫じゃないかと言う感じ。

餌を薬を与える時に体を拭いてやると気持ち良さそうにしている。
抱いてやってる間は、安心するのか尻尾を振る。

今足元のバスケットにタオルとOMEGAの布おむつで
ベッドを作ってやって寝かせているのだが、痛いようで
しょっつ体勢をかえたりしている。

医師の話では、おそらく今夜が一番痛いだろうとの事。

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母親に電話して、本当に来月バリ島に行くのか問うと、
父親は行くと言っているらしい。

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会社のある町で、日曜に流鏑馬祭がおこなわれる。
その踊パレードにでなくてはならず、終業後練習。
ああああああああああ、憂鬱だ。

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・サーバーの立ち上げ
・社内報の原稿
・住宅物件の金額調整
・鹿児島市に書類申請
・プレゼン資料の見直しと作成
・焼き印のデザイン


2002/10/16 Wed

朝からなんだかバタバタしていて気が付けば昼。
午後からはひたすらサーバーの設定とか社内の
不具合対応。21:00過ぎに家着。

食事して、猫のケア。
左目からの出血がまだ止まらず、目やにと血で
目が開かなくなっていたのでお湯をタオルにつけ
そっと辛抱強く痛くない程度になんども拭いてやる。
拭くと言うより、そっと置くだけと言った感じ。

なんとか開くようになったけど、目尻の血のりが取れない。

食事はまだ自分で食べる事は出来ず、また食べようとも
しないので、同居人が無理矢理少し食べさせ、注射器で
水も少量だが飲ませた。

咽と鼻に血液が固まってしまっているのか、水分や
食事を与えると咳き込んで嫌がる。それでも事故直後に
くらべると大分良くはなって来たように思える。

今日は口を自分で開いて、鼻先を舌で舐める事も
できるようになったので、おそらく明日の夜頃には食事も
自分でできるかもしれない。顔の腫れも少し引いてきた感じ。

もともと猫は肉食だから、あと3日くらいは食べなくても
へっちゃらだとは思うけど、日に日に痩せ衰えて行くのを
見るのは忍びない。


2002/10/18 Fri

1017 Thu

熊本営業所の近くに雷が落ち、PCのモニタとルーターが
ご臨終になったと言う連絡を受けその復旧の為に熊本へ。
ここ数週間の間に、何度も熊本鹿児島間の日帰り出張続
きでいいかげん嫌になってくる。

うちの会社からは片道4時間弱かかるのだが、毎回片道
3時間弱で移動するようにしている。まさに命がけ。


1018 Fri

午前中2時間遅れて出勤。理由は猫を病院に連れて行く為。
右顎の怪我は、出血も止まって痛みも引いたらしく、よほ
ど強く押さえたりしない限り嫌がらない。

しかし、左目と鼻からの出血は相変わらず続いていて、顔
半分が腫れて辛そう。咽も少し傷めているようで、食事を
させるのに一苦労。なかなか食べないので無理矢理口の奥
まで入れて吐き出させないようにしている。医師の診断で
も、内部的損傷は薬で止めるしかないと言う事で、さらに
薬を数日分処方してもらう。

痛がっているとは言え、それでも今日は割と気分が良いら
しく、歩き回ったり水を少しだけ自分で飲んだりしていた。
あと、椅子に座っていると、よって来て人の膝の上に乗る。
湿らしたタオルとティッシュペーパーで綺麗に体や顔を拭
いてやる。あと耳掃除も。これで食欲が戻って来てくれれ
ばいいのだけど、血で鼻が詰まってしまい匂いがしないの
でまだまだかなと言ったところ。

水を自分で飲むので、明日からしばらく猫ミルクをやる事
にする。

---
サーバーの設定がほぼ終わり。
社内報の原稿があと1ページ。
住宅物件2件のマネージメント。
プレゼン資料の見直し、雛形作成。
某業界最大手の動向チェックと私見レポート。
明日も仕事。


2002/10/22 Tue

うー・・長い日記書いてたらば、ブラウザが落ちてしまった。
やはり NN4.* っつーのはもう無理があるのかも知れない。

ていうか、あれだけ長いのはいまさらもう書けない・・・。

---

高校生が工場見学に来たのでその案内。
いわゆる工業高校なわけで、見るからになんつーか・・・(笑)。

僕自身工業系の高校出身者なので、彼等が何を考え
どう話せばのってくるのかわかり切っていたので
楽ちんていやー楽ちん。

なんだか、高校時代のかなりの馬鹿さ加減を
久しぶりに感じで懐かしんでいしまった。
いやー歳だね、もうすぐ31だし、なにせ2児の父親だ。

----

猫はこの一週間でかなり回復した。
日曜日、頭痛を感じながら嫌がる猫を押さえ付け
鼻に詰まって固まった血を取り除いてやる。
鼻が通るようになり、嗅覚が復帰したのが自力で
食事をしはじめる。かなり少量だが。

傷もかさぶたがほぼ取れ、右目の出血もかなり
落ち着いたので、月曜には頭痛と背中、腰の痛みに
耐えながらもお湯で洗ってやった。
石鹸と子供用シャンプーでごしごしと。

それからと言うもの、食欲が完全に復活し
頻繁に食事をし、水も飲むようになった。
あとは削げた右顎周辺と、ひげが生えてくれば
ほぼ元通りの美人猫に戻りそうだ。

ふぅ、やれやれ。

---

寒くなって来て、月も満月でここ2、3日かなり
良い感じです。あー写真撮りたい、温泉に浸かりたい・・・。


2002/10/25 Fri

しまった、書いてる途中で、ついうっかりブラウザを閉じてしまった・・・。

箇条書き

・なにげに写真のページをCGIベースに変更
 目的は更新作業を楽ちんにする為

・http://www.bluepage.org/come_on_girls_interface/の
 「shitamachi dpe」 が最右翼だったけどJavascriptが好きじゃ
 ないので http://www.mino.net/cgi/ の「みのアルバム 」を
 改造しまくって作ってみた

・いらない機能やFORMボタンも極力排除
 デザインはこれまでのページを踏襲
 これに合わせるのに一苦労

・β版は会社のWEBと魚眠のページに設置、来月より稼動
 先に公開した最終版よりβ版のほうが後に公開されると言う

・12月のグループ会社社内報は、ウチの会社の特集号なので
 5* Pのうち30P弱が僕の担当になる

・11月は2Pだけ担当だったので印刷所の行帰り含めて3時間で
 最終校正も終わったけど来月はぢごくだなや

・地籍調査の準備の為、工場長の家の近くで草刈り(生い茂るセイタカ
 アワダチソウ)とか

・おかげで筋肉痛、鼻水もとらない

・明日も出勤

・朝晩さみ-ので猫と一緒に寝てます

・今日は溜っていた小さな仕事を一気に片付け
 多分来週後半からその反動でさらに忙しくなりそう

・日曜は鯖の味噌煮を作る

2009/06/26

iPhone OS3.0 (使用篇)

マイケル亡くなりましたね。ファンと言うわけではなかったけど、ソロ活動はリアルタイムで追い掛けていたので、ちょっと早すぎるなぁという感じ。近年は良い話は聞かなかったけど、7月にイギリスで活動再開って聞いていたので残念です。

さて、iPhone 3GS 今日発売になりました。予約を受付たので去年ほどの騒ぎにはならなかった様ですけどね。そう言えば去年の発売の時は秋葉原のヨドバシで孫社長を生で見たんだよな、偶然だけど。

で、3GS じゃなくて 3G にiPhone OS 3.0 の話です。
使ってみた感じ、早くなった部分ともっさりになった部分が混在しているような気がする。
もっさりはやはり文字入力。予測変換の仕様変更のせいでそう感じるのかな。
変換自体は漢字の候補が増えていいんだけど。

あとは電源まわりの見直しで電池の保ちが良くなってる。
カメラ周りのスピード向上、メールがランドスケープでOK。
コピペ対応とか色々あって……。

よくよく考えると、こんなエントリわざわざアタシが書かなくても山ほど情報があふれてるのだった。

まぁ、あれですよ。
無駄にエントリ書かせてしまうくらいのいい感じです、iPhone OS 3.0。

ああ、そして 3GS はもっといい感じなのだろうな……。


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E-3 + ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5

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2009/06/23

iPhone OS3.0 (アップデート篇)

てなわけで、先週18日の夜 OS3.0 にしてみたのです。

アップデート前にしたことは、バックアップの為に iTunes で同期のみ。
アップデートに要した時間は同期まで含めて10~15分くらいだったと思う、あっという間に済んだ感じ。

アップデートも同期もすんなり行ったのは、ファイルが少なかったからかなと言う気も。
ちなみにこんな感じ→曲:107 / ビデオ:6 / 写真:503 / アプリケーション:48 / 空き領域(使用可能):5.4G

巷ではメールが消えただの、どうにもならないくらいもっさりになっただのアップデートが失敗したとか、アップデート後の同期に2時間かかったとか色々と不具合報告があちこちであったのですが、アタシ的には何も大きな問題は起こりませんでした。

あ、そういえば、1点不具合らしきものがあった。
アップデート前に APN-disabler を消してなかったので、アップデート後プロファイルに APN-disabler がインストールされているにもかかわらず、3G 接続になりました。
で、 APN-disabler を削除しようとしても削除出来ないので、上書き、すると APN-disabler が有効になりましたね。
念のため削除して APN-disabler 再インストール&再起動。

アプリケーションで使用不可能になったのは、Wifi Trak のみでした。

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そういえば、昨晩米国在住の取引先の人(といいながらここ1年以上は仕事以外のやりとりばかり)から、ようやっと iPhone 3GS を入手&デビューしたとの連絡がありました。
発売初日は白の在庫がなく、がっかり立ったらしいのですが、週末なにげに足を運んだ Apple store で3人待ちでゲット。

ちなみに、その人の旦那さんも iPhone ユーザーで初代からのアップグレードで、使用感としては 「チョー早い!」 との事、いいなぁ3GS。


E3207507

E-3 + ZUIKO DIGITAL 14-54mm F2.8-3.5

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